看護協会が1000人看護師を被災地に送るようにしてるそうです。


母の職場にも要請が来てました。母、協会員です



すごく悩みます



行きたい


でも役に立てるのだろうか?

しばらく第一線から引いてます

学校で教えてるようには現場は行かない


ましてや

被災地

まともなやり方は通用しない


ジャングルや砂漠や湿地帯で行われているような


原始的かつ普遍的なやり方のほうがいいかも

そして

自分の身の始末はじぶんですること。寝袋食料トイレおむつ持参でいかないと


行き帰りは

協会が負担するのかなそれとも自分持ち?


そして

もうひとつはやっぱり原発


家族への責任もあるので

被爆したから帰れませんではすまない

国の保障もないボランティア。


くにはボランティアに頼りすぎと思う

この人たち何の保障もないなんて


我が身のことを言うのではありません

もしものことがあった後、残る家族のことをかんがえると

ハイハイ行きますと言えないでいる


戦時ならいやもなにもないんだろうけど


22日の正午が締め切りだそうです


今日は近所のホームセンターで「昨日はこれ全種類買って帰った。あんたもこれ要るかね?」と電池を買う人を見る


きっと普段は電池なんてあまり買わないだろうお年寄り

ある意味買い占め?

懐中電灯もない

都会に住む親類家族に送るのかな


わたしは

ポケットラジオと単3電池を6ぽん

歯ブラシを買う

黄色いモッコウバラが目に止まったけどしんぼう。

これって震災前に輸送されてきた品かな


これからしばらくは不便なことも多いだろうけど、リカジジの頃は不便=当たり前だった

リカハ母の小学校時代は、汲み取りトイレで薪お風呂。

トイレの手洗いはバケツの水。いわゆる落としがみに新聞を使ってた家も

親戚のおふるに継ぎを当てて着ていたしエアコンなんてない

ストーブに薬缶や鍋をかけてその上で調理するなんていうのも風流だった

それか火鉢

布団は真綿で重たくて

湯たんぽ使ってた

車もなくて自転車か徒歩かバスか汽車


それってほんの40年もしない前のこと日本全国そうだった

街角に子供があふれ、二階建ての家が珍しかった少女時代


リカだってリカ兄貴だってやれないことはないだろう


みんなで力を合わせようね


でも

この1週間

ホントに泣いたなあ・・

リカジジが死んだとき以来だよ

こんなにないたの・・・


怖くて泣き、気の毒で泣き

感動して泣き


震災のニュースを聴くたび泣いてた


普段の服で家庭科室で卒業式

地震の最中にこんな式をあげて下さって有難うと言う児童に

子供を守ってくれてありがとうという保護者の挨拶

すばらしいスピーチに涙が溢れた

東電も

消防庁も学校の先生も


自分の仕事をしてる


母はどうするべきなのかなあ

http://www.myspiritual.jp/2011/03/post-2821.html


こういうの見つけた


感謝されたいと思って行ってはいけない


自前の持ち物として寝床さえも構えろという


全て手弁当


そういう覚悟でいけるのか


1 感謝はしてほしいと思ってはいない。

2 寝床以外は自前でいきます

3 訓練はされていない、自衛隊ではないのだから。でも看護師としてはキャリアがある。

4 自分は役に立たないと思っている